お彼岸です 

春分の日。

私にとっては
結構
毎年
なんだか
すっきりしない時期の象徴。

とりあえず
お墓まいりはしておこう。

今年は
意図あって
家族5人そろってお墓まいりした。



すなふきんは
練習試合後
お疲れモードの中
快く私のお願いを聞いてくれた、



お父さん。





フグね
お父さんの好物。

お父さんが亡くなってから
見るのも嫌で。
山口の親戚が送ってくるのも
捨ててた。
悔しくて。

でも
お父さんの好きだったもの。
これと引き換えに死んじゃっても
よかったのよね。
馬鹿みたいだけど。






フグ屋で
30までの「いっせぇのせ」ゲームで盛り上がる。
の後は
iPodで曲当てジェスチャーゲーム。



なんだかね
お父さん生きてたらよかったのにね。
お母さんは別として
うちらとご飯食べに行ったら
面白かったと思うよ。

でも
お父さんが生きてたら
妹とお母さんの今の幸せはなかったかもと
思うと
ほんとうに切ない…。
そして
お父さんが死んでほっとしたと思った
あの時の私の事も
私は決して忘れない。


たら、れば、そんな風に
私たちは
日々過ごしている。

亡くなったものは戻ってこないし
普通の今だって過ぎ去っていく。


過ぎていく日々。
当たり前の日々。


私は
私の大切な人に

何ができるのだろうか?
願うことしかできないのかな。

じゃあ
私。




「私はおいていかれたのだけど
ご機嫌よ。」


今年はイースターがまだ先なのです。



もうしばらく
Myyには
すっきりした気持ちは
こないかも。


自我弱し。
エクササイズも
思考を流すことができない。

あなたのことも
流さない。


側にいてほしい。


春分
下弦の月


無責任に愛すること 

岡山の
シュタイナーのクラスに出席した
帰り道。
165kmのドライブは
とても大切な時間。

睡魔とも闘うけど。


久々の
「Unconditionally 」
ケイティ-ペリーを聴きながら。
歌いながら。
ドライブ。


まっすぐな気持ちが好きだな。


無条件にそのまま受け入れること。
大丈夫。
それでいいよ。
見てるよ。


無責任に愛することとは違うのだ。
大丈夫、私は。
それでいいよ、めんどくさいから。
見てるよ、何もしないけど。


家族においては
責任が生じる、物理的に。地上的に。

たくさんの人と関わる仕事をしていると
ある程度
手放せる関わりがあることを知る。
他の人に委ねたり。

家族になると
それが容易ではない。

けど
私の子どもたちについては

どうしたことか
任せられるのよね。

きっと
昨日の尾道のクラスで
12感覚の授業をされる先生が言われた
「私を選んで生まれて来てくれたのだから
私が失敗しても、大丈夫。子どもは乗り越えてくれる。」って言うことを

第一子が生まれる前から
知っていたからなのだろう。
シュタイナー教育と出会う前のこと。

シュタイナー教育が
それを補強してくれている。


ただ
自分のことになると

この私で大丈夫とはとても言えない。

私はたくさん持っているのに
どれもが私らしくないような気がする。
努力もした。
でも私のものではない。

寸法が合わない。
身にあまる。
フィットしない。


だから私は
誰かぴったり合う人がいるのではないかと思い抱かれたくなるのだ。

触覚は
私を感じるためのもの。
私は他者ではないことを知るために必要。

私には
わたしがないので
大人になっても自分の境界がわからない。
なので
どこにも私が無いように
感じるのかな。
私が多血質なので
雰囲気に溶け込めるからかな?

「私が私の袋から漏れている」

漏れ切った袋の中に
何が残るのだろう。

私の「甘えたい」だけが残るのかな?
私の「大切にしたい」も残っているかな?


わたしが私を抱くことができれば
私の袋を繕うこともできる。





ポン-ヌフ 〜 新しい橋〜 

I spent to watch DVD in a lazy day.




「ポンヌフの恋人」


大学生の時に
なんとなくレンタルして
はまった映画。

ふと思い出して
どうしても見たくなってしまった。

何度も観たのに
どんな話かもよく覚えてなくて
「好きだった」っていう
感情だけ沸いてきたので
確認したかったのかも。
何が好きだったのか?

とにかく
映像としては全体的に
汚れている。
ホームレスの青年が主人公だから。
なのに
なんだろう、
この澄み切った感じ。
愛することを初めて知った
喜びと苦しみ。

「フランケンシュタイン」だったかな?
似てる雰囲気の
私が好きだった映画。


スイスへ
むーみんの学会のため
家族でついて行ったのは8年前。
アメリカに行く前。
その時に
パリへ寄った。

ルーブル美術館へ行きたい夫。
ノートルダム寺院に行く手前に
このポンヌフがある。
新しい橋という意味。
マリーアントワネットが捉えられていた
刑務所も近く
観光地である。

私はどうしても
ポンヌフが渡りたくて

むーみんに言っても
わかってはもらえなかったのだが
何せ近かったので
無理やり歩かせてもらった。

ホームレスのカップルが
片寄せあったであろう
出っ張りで写真撮った記憶があるわ。
「早くして〜」っていう雰囲気を感じつつ
私1人が
感傷にふけった思い出。


今日観ても
やっぱり好きだな。

幸せな気持ちになる。



好きな人がいるということは
素敵なこと。



ここに相手への
願望が盛り込まれると
期待がはいると
辛いことにもなるのですけど

でも
私は
やっぱり
好きな人がいることを栄養に
わたしを楽しみたい。

そして
できるだけ長く
好きな人と一緒に過ごせますように…。
ただ観ていたい。


わたしの大切な人。
遠くにいても
せめて気持ちだけでも
近くに来てほしいと
願うのでした。






誰ぞ側におるかぁ。 

今日は
なんだか
心細いので

一緒に寝るのだ。



多分2回目。

ベットが毛むくじゃらになるのは
覚悟の上。


今夜は
側にいてほしい。

らしさ、人参。 

「お邪魔しま〜す。
何してんの、Myy?」


今からエクササイズを。


「わたしも〜〜。」



賢そうな顔してるけど
ラクシーにわかるかなぁ。



「ここに座って目を閉じて。」



のいて、のいて。



そんなこんなで
今日の
おさるさんは
ラクシーでした。
エクササイズにならず…。


今日も
仕事は順調。
スタッフさんは
往診先のご家族さんからの
疑問を
「クレーム」として受け取る傾向がある。
「ご家族さんがちょっとうるさい方で。」
みたいに報告を受けて
ご家族さんとお話しすると
私からすると
細やかにご高齢のお母さまを気遣っていらっしゃるとしか思えない。

立場が違うからかしら?

悪意や文句言いたいありきではない

私は思ってしまう。
お話しすると
よくわかってくださるし。

私が
甘いのかな。
影で文句言われるのは
あまり怖くないし
実際
私は
腕のいい歯医者ではないと知っている。
努力はしてるけど…。
力足りないのは事実でしょう。
そこに言い訳はない。
開き直ってるわけでもない。

スタッフさんの愚痴を
大量に浴びて帰宅。



晩ご飯晩ご飯。


冷蔵庫の野菜室を整理したくて
八宝菜にする。

人参…。
有機人参…。


おう。
根っこ。
綺麗だ。
先がオレンジ色に見える。

生まれ成長する先端は
「白」ではなく
黄色?黄緑?
夏にニンニクの根っこを観察した時も
先は
正確には
先から数ミリ根元は
黄色味だった。
ピンクには見えない、かな。

私の中で
色は分かりにくい現象。
人とは違う色が見える。

多血質だと言われた人の中に
青色を強く見るし
憂鬱質だと言われた人の中に
めっちゃ黄色を見る。
(だから彼女は自分の息子を見るといらいらするのだと私には納得できる。)


色は
いろいろなものの中にあることで
自身を表現できる。
比べるものが
まわりがないと
その色でいられないのだ。

人参は
オレンジ色。
でも世羅で作ってる芯が黄色で外が紫色の人参がとても気に入っている、私は
色では
そのものを見ることができない。
人参らしさ。
私らしさ。




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