男の人って…。 

今日
シュタイナーのクラスの後の
参加者さんたちと話していて思ったこと。


夫、息子、父親、先生など

「男の人って結局
自分の配下に
女の人を置いておきたいのだ。」





「ねっ?僕のいうことはね、シュタイナー的に正しいことなんだよ。わからないの?わかるよね。わかりますって言うよね!」

多くのシュタイナーの先生に
教えていただいてるわけではないので
断言できないけど

女性の先生の方が
強いのだけど、だからなのか
甘えがないからか
さらっと
受け流されるような気がする。
男性は
どこかプライドなのか
自負なのか
「ここは、はいって言っとこ。」
みたいなのを連れてくる、もちろんムキにはなられることはまずないのだけど。


先生なので
私みたいなもんが言うことは
「あ〜、まだまだ、まだまだ修行も何も
足りない人が自己弁護かはたまた言い訳かわかったふりして知識を言葉尻で言ってるな」って思われるのは
ある意味当然なのだ。
それはそうなのだ。



私の傾向なのかな…?
私は
コレリックの人に対して
そんな風になるけど
性差ではない。

でも
私の中から沸き起こることなのかもかも。

「男の人の言うことは
聞いておこう。」という習慣。


男と女について。
考察の余地があまりある。
春が
人を興奮させるのか。
人を興奮させるために
春がやってくるのか。


春は苦手なのは
自我が育っていないから
振り回されるから。


何かと
遠い。

復活祭。
マグダラのマリアに想いをはせる。

イエスが復活した訳を 

今日
不思議な時間があった(一般的には全く自然な事なのかもしれないけど)。

夕方
夕食の準備の時に
ラクシー以外、誰も家にいなかった…。

木曜日は
仕事しない日。
6時に家にいる曜日。
の今日はみむら姉さんがオリエンテーション合宿で留守。
ちびのみぃも中学受験の塾が始まった。
すなふきんはいつも通り……?

もう
ここ十何年も
夕方、家に私だけがいて
他に誰もいないなんてことはなかった…。
変だな。

みむら姉さんも部活始まると帰るのが遅くなるのよね。
なんか変なの。


子どもが成長すると
時間の流れが変わる。
楽になるの?
私が変化が苦手だから
子どもたちが促してくれるの?

ぽっかりの時間。
変なの。


おかげさまで
思考と遊ぶ。

私がルチファー的なのか
私の愛する人がルチファー的なのか?
ルチファーを意識することで
私の中のマリアが始動するのか?





「あたしがいるでしょ。大丈夫よ〜。」

ラクシーだって…。


図書館で借りてきた。


学陽書房

「あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない
彼らは生命そのもの
あこがれの息子や娘である…」
カリール・ジブラン
神谷美恵子訳

が引用されていました。



私がすなふきんを
産んだあの時の気持ちを
そのまま言葉にしてくれています。
未だにそう、だ。

今日の晩ご飯の時に
「すなふきん、マナーとして左手を机の上にさりげなく出してご飯食べて。」って
私が言うと



わざわざ
着ていたパーカーから左腕を抜いて
左袖を机に置いて
自分の左手は椅子につくという
姿勢になってくれました。

やれやれ。

利き手を椅子において食べるのは
夫の
夫の家の癖なのです。

それをわかっていての
この反応に
怒れますか?
笑うでしょ。

私は
ほんとに恵まれている。
私のところに来てくれた子どもたち。
たぶん私が未熟なので
あちらからの
応援歌なのだと思います。
じゃあ
私はわたしを大切に育まなくては。

もうすぐイースター。
マリアと「愛する人談義」をするのだ。

春の情景 


毎朝の
(ホントは毎朝ではない、私はこつこつ毎日同じ時間、ができない、情けない根性なしな奴なので)
peace excersise の後に

ルドルフ シュタイナー
「魂のこよみ」
高橋巌 訳
を読むことにしている。

今年はイースターが遅めなので
4月第1週を3週間読むことになった。

「暗く不確かに
人間の本性は 霊なのだと感じ始める。」

復活祭の情景 より。

私は「感じ始める」というくだりが
気に入っている、
それも不確かに…。

こういうところが
シュタイナーの好きなところ。

薄暗く
はっきりしない
夕暮れの
逢う魔が時のような
朝もやの中のような
その感じを
良し
美し
好し
佳し
善し
喜し
欣し…。

と言っている。


はっきりしないのは
居心地悪いのかもしれないけど
私はもともと
はっきりさせたくないのかもしれない。
雰囲気さえあればよい…?


「そこにあるのは事実である」のは
好きだ。
手に届かなくても
ものっすごく遠くても
目に見えなくても。

いえ。
やっぱり
触れていたい。
近くにいたい。
はっきり伝えたい、伝えてほしい。
白黒つけたい。


春分から桜の花が散るまで
もやもやしている、
この春の様子を
実は
私は
私らしさを感じている。
グズグズったれ。
桜の花の
生き急ぐ、潔さが
怖い。


新しいリズムに合わせないといけない
新学期。
そことはなかなか
擦り合わないので
もやもやを
楽しめないのかもしれない。
アメリカ人なら良かったのかな?


ただ
ここ数年で知ったこと。
桜は花より
葉が美しい。

私が待っているのは
葉の白さや
緑の輝き。
濃い緑のたくましさと実積。
そして赤い充足感。


そう考えると
私が苦手なのは
一瞬とか
あっという間とか
感情的とか
私の多血質とは
程遠いところのような気もする。


しばらくは
ルチファーの恋人でいよう。
春分から考えてたこと。

復活祭からの変化はあるのか?


私は
ほんとに
おもしろい。

新学期に向けて 

とはいえ

新学期に向けて
やるべきことは多い。

5月のPTA総会まではとにかく気ぜわしい。


今日は
みむら姉さんの進学する中学校へ。
物品販売が主なのですが
どきどきする。

わくわくより
びくびく、かな?

多血質のわたしは
周りに意識が行き過ぎるため
いろんなものをキャッチしてしまう。

これは
その土地のよくないものが
私に何か悪い気持ちを受け取って欲しがっているのと似ている。
若いころ
そういうのが嫌で
一方的に閉じた。

これと同じで
周りに対して
こっちに入ってこないようにするのは
なんとなくしている。
きっとこれが疲れの原因なんだろうな。
ほっとくと
がんがん入るから
それも嫌なのですけど。



つかれた。

早くお風呂に入りたいけど
順番待ち。
子どもたちのお風呂時間もだんだん長くなる。タイミング逃すと1時間30分待ちになるわけで。

ライアーくらい弾いてみるかな。



いやされるかも。




クリスマスからイースターまで 



桜の開花予報とともに

え〜っと。

つらい。



誕生日が近づく。
私が生まれた日。
生まれてこなければよかったのに。
記憶があるころから
長年思ってた。
それを
ありありと感じる日。
が、誕生日。
もちろん
お祝いもしてもらった。
何度も。

なのに
なぜ?⁇?⁇?⁇?

誕生日が嬉しかったことは
3回しかない。
しか?
今の記憶には3回、だ
そのうち
1回は
大学の卒業式で
誰もお誕生日おめでとうを言ってはくれなかったけど(母も言う暇なくて)
やっと解放されると思った喜び。



生まれてこなければよかったのに。

それは言ってはいけないのだよ。
恵まれている私が
何をほざくか。
この世には
飢えに苦しむ虐待に苦しむ差別に苦しむ病に苦しむたくさんの人がいるのに。
まして
子どもも生まれて
幸せに暮らしているではないか?
仕事もあり生活もできる。
何が不足だと言うのか?


そう
今の私は
物理的に死んでは困る事象が
たくさんある。
私が生きていたことで
いろんなことがこの地上で起きているのだ。
おかげさまで!
それでいいのだ。
わかっている。


湧いてくる
自分を消したい感。
癖なのかな?
よく考えて
今の
今ある幸せをかみしめよ。


skin presented by myhurt : BLOG | SKIN

FC2Ad

  
copyright © 2005 いいかげんで☆いい塩梅 all rights reserved. Powered by FC2ブログ