疲労のときのわたし 

午前は
すなふきんの参観、総会、学年懇談会。

押し押しで
その後
23キロ程度離れた
みむら姉さんの学校のの体育祭。


人に溺れた1日でした。


私の多血質が
わたしを疲れさせるのでしょうね。
人と話を合わせるのは
嫌いじゃないよ。
発見もあるし
(もちろん苦手なことも持ってはくるのだが)

人と付き合うのが嫌だと断言する
夫や妹や母のことが
よくわからない。

くらいに。



そもそも

わたしと他の人(家族や血縁でも)は
わかりえない、その立場なので。

でも?
だから?

疲れたな。


もちろん
お話しする方々
良い方なのです。
私を攻撃することもないし
意地悪も悪意もなく
良い方なのです。

私が恵まれていること
悪意ある方は…?周りにいない。断言。


結局
私が×なのだなぁと
思う。
私が小さく
私が自分の事しか考えてなくて
私が他人を思いやることができず
(最近はそんたくって言うのですか?流行り言葉なのかな?)
私は悪魔的。生まれながらに
私は悪なのでしょう。

うちの子どもたちは
たくさん持って生まれてきているのに

私は
生まれてから
たくさん
持ってないといけない、ように感じている、選ばれた子どとして。

今日みたいに
消耗した感じが強い日に
感じること
「私の何かが不足している事を
投げかけている。」

謙虚さ
感謝
誰かを赦すこと
寛容さ
理解
わかること
味わうこと
受け入れること
許してもらえなくても認めること


この数日の、不愉快な事を
私へのお知らせだと考えて過ごしてきた。
でもなんとなく
私へのお知らせではなく
私と関わりが強い方へのお知らせが、
私に及んでいるような気がする。
もちろん発端は私なのは間違いないのだけど私が傷つけたり怒らせたり。は事実なのだけど、そんな風になるかな?そんな感じて受け取られるのだ…。
何度もいうけど
悪いのは私。
相手を傷つけたり
怒らせたり
いらっとさせたり。
そんな私なのよ。

ごめんなさい、私が居て。


疲れたのかな。

こんな私で
明日からも生きていくのだ…。



とんとんとん、忘れてますよ 

私が消えてしまいたくなるときが
時々やってくる。

はっきりとした理由がある事もあれば
ぼんやりとやってくることも。


はっきりした理由。
やらねばならない事が出来ていない。
逃避のため
私は消えたくなる。

今回もそうかな?

たまってる事を


すなふきんの部活のブログアップ。



200枚の試合の写真を投稿。

目が疲れる。


たのまれているライアーケース。

こちらは5か月もかかって出来上がっていない。
なんでかな?
私にしては珍しく創作意欲がわかない。
布のせい?
私の中のやろう!が発動しない…。



そんな感じで
少し
身体をこちらの世界になじませてから
仕事に出かけた。

そんなときの私に
起きることは
肩をとんとんってたたかれるみたいな
あたたかい出来事。

ありがたい出来事。

普通は
スタッフさんや患者さんの支えやお気遣いからやってくることが多いのだけど
(そこは素直にありがとうなのです。)
昨日のミラクルは
誰が準備してくれたのか
ちょっとわからない。

もう手を合わせるしかない。

おかげで患者さんも私も
スムーズに動くことができました。



加えて
嬉しいことも。

最近、気になっていた人
少し離れたところから見ていた人が

近づいて来てくれている感じがあった、
気持ちの面でね。



振り返らないといけないこともある。
反省、後悔、など。
けれどそこから
動き出すことも
あるのかもしれない。
全部が全部のつながりを大切にするのは
私には無理なようだ。


私がわたしにかえるとき
わたしらしい不都合なこともたくさん起きる。
今まではその不都合なことの
対処法として
自分を変えることばかりしてきた。
そしてなかったことにしてきた。


誰かを傷つけたことで
私のあり方を変えるのではなく

そのままの未熟なわたしで
行動を変えることができるのではないかな?

ごめんなさい。
こんな私で。
でももう少しおつきあいしてくれませんか?




大切なひとたちのことは
大切に想っていよう。
今の私にできるかぎりで。

春の情景 


毎朝の
(ホントは毎朝ではない、私はこつこつ毎日同じ時間、ができない、情けない根性なしな奴なので)
peace excersise の後に

ルドルフ シュタイナー
「魂のこよみ」
高橋巌 訳
を読むことにしている。

今年はイースターが遅めなので
4月第1週を3週間読むことになった。

「暗く不確かに
人間の本性は 霊なのだと感じ始める。」

復活祭の情景 より。

私は「感じ始める」というくだりが
気に入っている、
それも不確かに…。

こういうところが
シュタイナーの好きなところ。

薄暗く
はっきりしない
夕暮れの
逢う魔が時のような
朝もやの中のような
その感じを
良し
美し
好し
佳し
善し
喜し
欣し…。

と言っている。


はっきりしないのは
居心地悪いのかもしれないけど
私はもともと
はっきりさせたくないのかもしれない。
雰囲気さえあればよい…?


「そこにあるのは事実である」のは
好きだ。
手に届かなくても
ものっすごく遠くても
目に見えなくても。

いえ。
やっぱり
触れていたい。
近くにいたい。
はっきり伝えたい、伝えてほしい。
白黒つけたい。


春分から桜の花が散るまで
もやもやしている、
この春の様子を
実は
私は
私らしさを感じている。
グズグズったれ。
桜の花の
生き急ぐ、潔さが
怖い。


新しいリズムに合わせないといけない
新学期。
そことはなかなか
擦り合わないので
もやもやを
楽しめないのかもしれない。
アメリカ人なら良かったのかな?


ただ
ここ数年で知ったこと。
桜は花より
葉が美しい。

私が待っているのは
葉の白さや
緑の輝き。
濃い緑のたくましさと実積。
そして赤い充足感。


そう考えると
私が苦手なのは
一瞬とか
あっという間とか
感情的とか
私の多血質とは
程遠いところのような気もする。


しばらくは
ルチファーの恋人でいよう。
春分から考えてたこと。

復活祭からの変化はあるのか?


私は
ほんとに
おもしろい。

クリスマスからイースターまで 



桜の開花予報とともに

え〜っと。

つらい。



誕生日が近づく。
私が生まれた日。
生まれてこなければよかったのに。
記憶があるころから
長年思ってた。
それを
ありありと感じる日。
が、誕生日。
もちろん
お祝いもしてもらった。
何度も。

なのに
なぜ?⁇?⁇?⁇?

誕生日が嬉しかったことは
3回しかない。
しか?
今の記憶には3回、だ
そのうち
1回は
大学の卒業式で
誰もお誕生日おめでとうを言ってはくれなかったけど(母も言う暇なくて)
やっと解放されると思った喜び。



生まれてこなければよかったのに。

それは言ってはいけないのだよ。
恵まれている私が
何をほざくか。
この世には
飢えに苦しむ虐待に苦しむ差別に苦しむ病に苦しむたくさんの人がいるのに。
まして
子どもも生まれて
幸せに暮らしているではないか?
仕事もあり生活もできる。
何が不足だと言うのか?


そう
今の私は
物理的に死んでは困る事象が
たくさんある。
私が生きていたことで
いろんなことがこの地上で起きているのだ。
おかげさまで!
それでいいのだ。
わかっている。


湧いてくる
自分を消したい感。
癖なのかな?
よく考えて
今の
今ある幸せをかみしめよ。


無責任に愛すること 

岡山の
シュタイナーのクラスに出席した
帰り道。
165kmのドライブは
とても大切な時間。

睡魔とも闘うけど。


久々の
「Unconditionally 」
ケイティ-ペリーを聴きながら。
歌いながら。
ドライブ。


まっすぐな気持ちが好きだな。


無条件にそのまま受け入れること。
大丈夫。
それでいいよ。
見てるよ。


無責任に愛することとは違うのだ。
大丈夫、私は。
それでいいよ、めんどくさいから。
見てるよ、何もしないけど。


家族においては
責任が生じる、物理的に。地上的に。

たくさんの人と関わる仕事をしていると
ある程度
手放せる関わりがあることを知る。
他の人に委ねたり。

家族になると
それが容易ではない。

けど
私の子どもたちについては

どうしたことか
任せられるのよね。

きっと
昨日の尾道のクラスで
12感覚の授業をされる先生が言われた
「私を選んで生まれて来てくれたのだから
私が失敗しても、大丈夫。子どもは乗り越えてくれる。」って言うことを

第一子が生まれる前から
知っていたからなのだろう。
シュタイナー教育と出会う前のこと。

シュタイナー教育が
それを補強してくれている。


ただ
自分のことになると

この私で大丈夫とはとても言えない。

私はたくさん持っているのに
どれもが私らしくないような気がする。
努力もした。
でも私のものではない。

寸法が合わない。
身にあまる。
フィットしない。


だから私は
誰かぴったり合う人がいるのではないかと思い抱かれたくなるのだ。

触覚は
私を感じるためのもの。
私は他者ではないことを知るために必要。

私には
わたしがないので
大人になっても自分の境界がわからない。
なので
どこにも私が無いように
感じるのかな。
私が多血質なので
雰囲気に溶け込めるからかな?

「私が私の袋から漏れている」

漏れ切った袋の中に
何が残るのだろう。

私の「甘えたい」だけが残るのかな?
私の「大切にしたい」も残っているかな?


わたしが私を抱くことができれば
私の袋を繕うこともできる。





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