ヒロシマ2017 

今日、広島は72年目の
ヒロシマを迎えました。

私は
みむら姉さんを五日市まで送る間
NHKのラジオ中継を聞き
「学校で黙祷してね。」と
娘を降ろした後の
大きな橋の上で8時15分を迎えました。

東に青い空が広がり
私の父が疎開していた五日市からの空を
実感したのでした。

ピカァと光った空。
どーんという深い音。
もくもく上がる不気味な雲。

私も体験したかのような風景。が一瞬。


父の叔母の夫からは
被爆体験を聞いたのですが
血族からは
聞いたことがない。

思い出させるのがかわいそう、だったから。

大好きだった大叔母には
背中に大きなケロイドがあったらしい。
宝町で曽祖父と井戸の中で火が行き去るのを待ったそうだ。母から聞いた話。


呉の軍需工場で
管理官をしていたおじいちゃんは入市被爆。
比治山の陰で段原で暮らしていた祖父も
原爆のことは語らなかった。

幸い私は大叔父しか爆死していない。
でもおばあちゃんも、大叔母も
弟の「コウソウくん」の話はしなかった。
彼が残した綴り箱を父に託しただけ。



もっと話を聞いておけばよかったとも
思う。

でもあんなにおしゃべりで
社交的なおばあちゃん世代が話したく無いほどの惨事について
あの時に聞くことは正しいことだったのか?

血の繋がっていない
大叔父に
淡々と聞くとこしかできなかった高校生の私。
今の私には何ができるのか?

「ああ許すまじ原爆を」
うろ覚えの歌を口ずさみながら。


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