無責任に愛すること 

岡山の
シュタイナーのクラスに出席した
帰り道。
165kmのドライブは
とても大切な時間。

睡魔とも闘うけど。


久々の
「Unconditionally 」
ケイティ-ペリーを聴きながら。
歌いながら。
ドライブ。


まっすぐな気持ちが好きだな。


無条件にそのまま受け入れること。
大丈夫。
それでいいよ。
見てるよ。


無責任に愛することとは違うのだ。
大丈夫、私は。
それでいいよ、めんどくさいから。
見てるよ、何もしないけど。


家族においては
責任が生じる、物理的に。地上的に。

たくさんの人と関わる仕事をしていると
ある程度
手放せる関わりがあることを知る。
他の人に委ねたり。

家族になると
それが容易ではない。

けど
私の子どもたちについては

どうしたことか
任せられるのよね。

きっと
昨日の尾道のクラスで
12感覚の授業をされる先生が言われた
「私を選んで生まれて来てくれたのだから
私が失敗しても、大丈夫。子どもは乗り越えてくれる。」って言うことを

第一子が生まれる前から
知っていたからなのだろう。
シュタイナー教育と出会う前のこと。

シュタイナー教育が
それを補強してくれている。


ただ
自分のことになると

この私で大丈夫とはとても言えない。

私はたくさん持っているのに
どれもが私らしくないような気がする。
努力もした。
でも私のものではない。

寸法が合わない。
身にあまる。
フィットしない。


だから私は
誰かぴったり合う人がいるのではないかと思い抱かれたくなるのだ。

触覚は
私を感じるためのもの。
私は他者ではないことを知るために必要。

私には
わたしがないので
大人になっても自分の境界がわからない。
なので
どこにも私が無いように
感じるのかな。
私が多血質なので
雰囲気に溶け込めるからかな?

「私が私の袋から漏れている」

漏れ切った袋の中に
何が残るのだろう。

私の「甘えたい」だけが残るのかな?
私の「大切にしたい」も残っているかな?


わたしが私を抱くことができれば
私の袋を繕うこともできる。





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