春の情景 


毎朝の
(ホントは毎朝ではない、私はこつこつ毎日同じ時間、ができない、情けない根性なしな奴なので)
peace excersise の後に

ルドルフ シュタイナー
「魂のこよみ」
高橋巌 訳
を読むことにしている。

今年はイースターが遅めなので
4月第1週を3週間読むことになった。

「暗く不確かに
人間の本性は 霊なのだと感じ始める。」

復活祭の情景 より。

私は「感じ始める」というくだりが
気に入っている、
それも不確かに…。

こういうところが
シュタイナーの好きなところ。

薄暗く
はっきりしない
夕暮れの
逢う魔が時のような
朝もやの中のような
その感じを
良し
美し
好し
佳し
善し
喜し
欣し…。

と言っている。


はっきりしないのは
居心地悪いのかもしれないけど
私はもともと
はっきりさせたくないのかもしれない。
雰囲気さえあればよい…?


「そこにあるのは事実である」のは
好きだ。
手に届かなくても
ものっすごく遠くても
目に見えなくても。

いえ。
やっぱり
触れていたい。
近くにいたい。
はっきり伝えたい、伝えてほしい。
白黒つけたい。


春分から桜の花が散るまで
もやもやしている、
この春の様子を
実は
私は
私らしさを感じている。
グズグズったれ。
桜の花の
生き急ぐ、潔さが
怖い。


新しいリズムに合わせないといけない
新学期。
そことはなかなか
擦り合わないので
もやもやを
楽しめないのかもしれない。
アメリカ人なら良かったのかな?


ただ
ここ数年で知ったこと。
桜は花より
葉が美しい。

私が待っているのは
葉の白さや
緑の輝き。
濃い緑のたくましさと実積。
そして赤い充足感。


そう考えると
私が苦手なのは
一瞬とか
あっという間とか
感情的とか
私の多血質とは
程遠いところのような気もする。


しばらくは
ルチファーの恋人でいよう。
春分から考えてたこと。

復活祭からの変化はあるのか?


私は
ほんとに
おもしろい。
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クリスマスからイースターまで 



桜の開花予報とともに

え〜っと。

つらい。



誕生日が近づく。
私が生まれた日。
生まれてこなければよかったのに。
記憶があるころから
長年思ってた。
それを
ありありと感じる日。
が、誕生日。
もちろん
お祝いもしてもらった。
何度も。

なのに
なぜ?⁇?⁇?⁇?

誕生日が嬉しかったことは
3回しかない。
しか?
今の記憶には3回、だ
そのうち
1回は
大学の卒業式で
誰もお誕生日おめでとうを言ってはくれなかったけど(母も言う暇なくて)
やっと解放されると思った喜び。



生まれてこなければよかったのに。

それは言ってはいけないのだよ。
恵まれている私が
何をほざくか。
この世には
飢えに苦しむ虐待に苦しむ差別に苦しむ病に苦しむたくさんの人がいるのに。
まして
子どもも生まれて
幸せに暮らしているではないか?
仕事もあり生活もできる。
何が不足だと言うのか?


そう
今の私は
物理的に死んでは困る事象が
たくさんある。
私が生きていたことで
いろんなことがこの地上で起きているのだ。
おかげさまで!
それでいいのだ。
わかっている。


湧いてくる
自分を消したい感。
癖なのかな?
よく考えて
今の
今ある幸せをかみしめよ。


無責任に愛すること 

岡山の
シュタイナーのクラスに出席した
帰り道。
165kmのドライブは
とても大切な時間。

睡魔とも闘うけど。


久々の
「Unconditionally 」
ケイティ-ペリーを聴きながら。
歌いながら。
ドライブ。


まっすぐな気持ちが好きだな。


無条件にそのまま受け入れること。
大丈夫。
それでいいよ。
見てるよ。


無責任に愛することとは違うのだ。
大丈夫、私は。
それでいいよ、めんどくさいから。
見てるよ、何もしないけど。


家族においては
責任が生じる、物理的に。地上的に。

たくさんの人と関わる仕事をしていると
ある程度
手放せる関わりがあることを知る。
他の人に委ねたり。

家族になると
それが容易ではない。

けど
私の子どもたちについては

どうしたことか
任せられるのよね。

きっと
昨日の尾道のクラスで
12感覚の授業をされる先生が言われた
「私を選んで生まれて来てくれたのだから
私が失敗しても、大丈夫。子どもは乗り越えてくれる。」って言うことを

第一子が生まれる前から
知っていたからなのだろう。
シュタイナー教育と出会う前のこと。

シュタイナー教育が
それを補強してくれている。


ただ
自分のことになると

この私で大丈夫とはとても言えない。

私はたくさん持っているのに
どれもが私らしくないような気がする。
努力もした。
でも私のものではない。

寸法が合わない。
身にあまる。
フィットしない。


だから私は
誰かぴったり合う人がいるのではないかと思い抱かれたくなるのだ。

触覚は
私を感じるためのもの。
私は他者ではないことを知るために必要。

私には
わたしがないので
大人になっても自分の境界がわからない。
なので
どこにも私が無いように
感じるのかな。
私が多血質なので
雰囲気に溶け込めるからかな?

「私が私の袋から漏れている」

漏れ切った袋の中に
何が残るのだろう。

私の「甘えたい」だけが残るのかな?
私の「大切にしたい」も残っているかな?


わたしが私を抱くことができれば
私の袋を繕うこともできる。





ポン-ヌフ 〜 新しい橋〜 

I spent to watch DVD in a lazy day.




「ポンヌフの恋人」


大学生の時に
なんとなくレンタルして
はまった映画。

ふと思い出して
どうしても見たくなってしまった。

何度も観たのに
どんな話かもよく覚えてなくて
「好きだった」っていう
感情だけ沸いてきたので
確認したかったのかも。
何が好きだったのか?

とにかく
映像としては全体的に
汚れている。
ホームレスの青年が主人公だから。
なのに
なんだろう、
この澄み切った感じ。
愛することを初めて知った
喜びと苦しみ。

「フランケンシュタイン」だったかな?
似てる雰囲気の
私が好きだった映画。


スイスへ
むーみんの学会のため
家族でついて行ったのは8年前。
アメリカに行く前。
その時に
パリへ寄った。

ルーブル美術館へ行きたい夫。
ノートルダム寺院に行く手前に
このポンヌフがある。
新しい橋という意味。
マリーアントワネットが捉えられていた
刑務所も近く
観光地である。

私はどうしても
ポンヌフが渡りたくて

むーみんに言っても
わかってはもらえなかったのだが
何せ近かったので
無理やり歩かせてもらった。

ホームレスのカップルが
片寄せあったであろう
出っ張りで写真撮った記憶があるわ。
「早くして〜」っていう雰囲気を感じつつ
私1人が
感傷にふけった思い出。


今日観ても
やっぱり好きだな。

幸せな気持ちになる。



好きな人がいるということは
素敵なこと。



ここに相手への
願望が盛り込まれると
期待がはいると
辛いことにもなるのですけど

でも
私は
やっぱり
好きな人がいることを栄養に
わたしを楽しみたい。

そして
できるだけ長く
好きな人と一緒に過ごせますように…。
ただ観ていたい。


わたしの大切な人。
遠くにいても
せめて気持ちだけでも
近くに来てほしいと
願うのでした。






誰ぞ側におるかぁ。 

今日は
なんだか
心細いので

一緒に寝るのだ。



多分2回目。

ベットが毛むくじゃらになるのは
覚悟の上。


今夜は
側にいてほしい。

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